「人生を半分あきらめて生きる」 諸富祥彦

どんなに頑張ってもダメなとき「ま、いっか」と言ってみよう。

ま、いっかけん

ども、ま、いっかけんです。 目標をいかに達成するかという本は多いが、 しがみついているものの執着を捨てていかに あきらめるかを書いてる本は少ないです。    お坊さんが書いた本は、いかに執着を断つかということを書かれてはいます。  が、位の高いお坊さんは、やはり仏道に命があって、 僧侶になられたばかりなので、凡人は真似は真似が出来ません。  完全に諦めることができれば、とっくに悟り開いてます。 この著書で諸富教授は「半分だけあきらめましょう」と提案しています。 では、なぜあきらめることができないと人生が辛くなっていくのか?

 無力・縮小・うつ社会には「あきらめ力」が必要だ。

 これからの社会の4つの特質

 

①「縮小社会」人口減で、得られる総量が減っていく。

②「無力社会」 別名(何をしてもダメだ、こりゃ社会)震災、国家財政の破綻、突然のハプニングで今までの個々人の努力の蓄積が一気に無になってしまう。  

③「自己責任社会」 自分の幸・不幸のすべては自分の選択の結果である。

④「自己選択不全によるうつ社会」  今までの平凡な幸せを得られる人の総量が減っているのに、不幸なのは自分の選択が間違っていたせいと自分を責める。

 極度に予測不能・不確実の社会を生きるための2つの提案

 

 うー未来はとても暗いですね。  

どんどん欲を減らして、修行僧のようにストイックに生きていくしか道はないんでしょうか?

 もし欲を持ってしまったら、不幸な道をたどるしかないんでしょうか?

 欲望を縮小しても、心を深くしていく方法はあります。

 その生きる智慧を2つ提案しています。

①長期的な人生計画をやめる

 いつなにがおこるかわからないのに長期的計画は徒労に終わることが多い。

②「本当にしたいこと」「どうでもいいこと」の区別をしていくこと。

 自分の心を整理整頓して、3割の本当にやりたいことは残し、どうでもいい7割は捨ててしまう。

 これからの20年後や30年後の社会は多くの人が多くのもの失う時代。

 仕事、家族、金、結婚。  

今まで当たり前に大勢の人が享受できていた幸せが、ごく限られた人だけが味わえるものになる。

 現に本著は2012年の出版ですが、2018年になった現在、まさにこの本が予言したことが現実になる兆候があちこちに見受けられます。    

私も家業の跡継ぎと言われる立場も失われましたし、収入も激減しました。

 縮小社会の現実化を目の当たりにして、予言の書としてますます現実の厳しさを認め適応する「あきらめる力」が求められます。  

「ま、いいか」「仕方がないか」 「あきらめよう」

 

 「半分あきらめる」と聞いた反応は3通り、

①「あきらめるのは、いや」  

というのはそこそこ人生がうまく運んできた人。

まだ、なしとげてない望みがあるからあきらめるわけにはいかない。

そんな人はあきらめるのを諦めて、諦めずにチャレンジしていい。

②「あきらめるわけにはいかない。こんなんじゃだめだ。もっと努力しないと」

人生の辛酸もいろいろ経験しながら、理想の自分と現実との自分のギャップに苦しむ。  自分にだめ出しして、自己否定に苛まれる。

③「半分あきらめて生きる」と言われると内心ホッとする。

 実を言うと、私ま、いっかけん は現在③の心境です。  

この本も実は、最初読んだ時は理解できないというより、

なにか確信を掴まれすぎて読むのがこわかった気がしました。

 その頃はまだ②のまだまだがんばらなくては――という心境だったのです。  

 そして本当に一人きりで、店をやっても、思うような結果が出ないのを経験して、

はじめて③の半分あきらめて生きるという心境を自分の気持ちとして体感することが出来ました。

 そこで、心の中であきらめきれずに、あきらめなきゃいけない心境を認められない自分がいたのが この本を読み返して、

「ま、いっか」

「仕方ないか」

「やるだけのことはやった」  と思うことができたのです。

 自分の店に「ま、いっか」とつけながら、

「ま、いっか」という言葉の本当の意味・

ありがたさというのを一年ぐるっと回ってはじめて納得したのでした。

まさに灯台もと暗し。  

 この本は、人生がまだのぼり調子の方には、まだピンとこない。

むしろ、拒否反応する本かもしれません。  

ですが、いくら頑張っても無理な壁にぶつかって行き止まりにいる人には、大きな救いとなるような本です。

 個人的には現代の「歎異抄」のような本です。  

 




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