与えられすぎると本当に好きなものが分からなくなるの?

そろそろ高校受験もまっただ中になり、我が家もかなりピリピリムードになってきました!

学区でもレベルの高い高校をめざして塾の特進コースを受講。ほかならぬ息子本人が志望して選んだんですけど、当の本人は特進コースにいるという根拠無きエリート意識に甘えてしまって、努力を怠ったってことなんでしょう。

期待を下回った息子の成績に、妻が

「今までの塾代を返せ!」

と怒り心頭。吠えまくっております。おとぎ話に出てくる狼が潜む森のように、我が家には今夜も遠吠えが――

いくらストーブ焚いても、空気が冷たいぞ!

イヤー、お家に帰りたくないよ!

とはいえね。息子、どんな職業につきたいのかどころか、自分が何が好きなのか、何に興味があるのかわからないって言うんですよ。 あきらかに、理数系苦手で、あきらかに社会が好きで本が好きなのに……

「公務員」「薬剤師」「企業に入って研究員」とか言うんですよね。

情報が多すぎて、生きていくのに無難な職業。食いっぱぐれのない手堅い職業を志向してるんです。全然、自分が好きでも得意でもないにも関わらず。

私は自己紹介でも書いてますが、小学生の頃から手伝える年齢になったらほぼ労働力で使われてました。それまではほとんど放置されてたんですけど……

両親は中卒。塾や習い事なんて全然関心以前に存在自体もよく分かってなかったと思います。なので塾なし、習い事もなしでした。小遣いも少なかったので、小遣いはほとんど本雑誌にあててましたね。

だから、息子の方が圧倒的に漫画の蔵書もはるかに多くて、見てる映画の数も圧倒的に少ないと思います。

与えられたモノが少ないからこそ。何が好きか何が得意かは、自分の中ではっきりしてたと思います。他人がどういうかは別として。 彼には実にいろんなものを体験させたと思います(妻が)。しかしながら、いまだに何が好きか――ていうのは、掴めてないようで。楽器も小学校にあがる前から習っているのに、ものすごく大好きなものでもないようです。

これだと、楽器がしたくて、一生懸命バイトしてためて楽器をした人の方がすぐに上手になってしまいそうな気がします。

本人の意思を聞く前から、あれが必要、これが必要といっていろんな習い事を与えた結果。やりたいことを自分で見つける感性と、育てる力を摘んでいたのかもしれないなと思います。

好きなモノって、やりたいという飢餓感があるもんだ思うんです。

見たい、知りたい、もっとやりたい、上手になりたい。

やめろと言われてもついついやってしまっていた!わかっちゃいるけど辞められないってのが本当の「好き」だと思うんですよ。

好きになるノリシロを作ってやらないといけないのかな?

自分が親に習い事に通わせてもらっていたら多少は分かったことなんでしょうが……

気がついても、もう手遅れでした。

ああ、子育てって終わった後、気がつくものなんでしょうか。




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