人生半分まで来たから好きなことで生きると決めたま、いっかけん自己紹介

「自分が作り出したアイデアで世界をおもしろくしたい」ま、いっかけんのプロフィール

わたくし、岡山県倉敷市の小さな六坪の居酒屋「お肉バー ま、いっか」の店主です。
本名、中村健二、アラフィフ既婚。高校生と中学生の父です。
 
父母の精肉店を手伝って30年。自分が発掘したお肉の稀少部位を使った珍味
「モーカッパ」「ネジクレモン」「スネッカジリ」
を世界に広めたくて、安定した跡継ぎの道を捨て、1から作り出す冒険の道を踏み出しました。
 
ブログ運営の楽しさに目ざめ。半分ブログ半分バーの生活をしています。
 

社畜ならぬ家畜? 家業にこの身を捧げ、ほぼ青春なしだったま、いっかけんの半生

 

ほぼ放置。近所をさまよいながらエンタメ三昧の幼少期。

 
保育園から帰ってきても、両親は店を立ち上げたばかりで仕事でてんてこまい。
育児はほぼ放置。
黙って置いてくれる面倒を見てくれる近所の酒屋さんと電器屋さんのどちらかで過ごしていました。その間ずっとテレビを見て過ごしてました。
 
ここでエンタメ好きになる土壌ができました。

手伝えるようになったら一転、労働力に。楽しみは漫画とテレビと読書

小学3年生になると、さらにスーパーのテナントに入り両親の忙しさに拍車がかかりました。
その頃には多少労働力になってました。パックの包装や陳列もしてました。
学校、手伝い、以外は漫画見たりテレビ見たり。学校の図書館で本と出会って読書も楽しみになりました。

中学校・他人の目を気にして運動部へ

中学校に進んで柄にもなく部活をバスケを選びました。
 
「本当に自分がやりたい」って思う部活より、
「他人が見たらどう思うか」が凄く気になる時期でした。
 
ま、いっかけん
本当は放送部に入りたかった!
 
「あいつネクラ(オタクという言葉はまだなかった)だよな」とか同級生に言われたくなかったんです。
体育会系の縦社会とシゴキにすっかり団体活動に嫌気がさして、さらにさらに内に内にこもるようになりました。

進学校の勉強にについていけなくて……病んだ。

そして、高校は父から無理矢理学力にみあわない進学校に入れさせられ――
初日1時間目の授業から全く勉強がわからず、週末には映画館へ現実逃避(当時は土曜日も学校でした)。
授業中にも文庫本を挟んで読書三昧(授業が全くちんぷんかんぷんでした)。
 
ま、いっかけん
当時は現実逃避というか映画館の方が自分にとっての現実だったんです。今のネットやゲームにハマる人の気持ちわかるなあ
 
中学で部活が大嫌いになって帰宅するだけ。
 
勉強・部活まるでダメ。でも、心の中では妄想で一杯。世界の名作映画や小説に親しんで、
 
「俺もいつかは世界に名を残す作品を作る!」
若い頃は妄想だけで1日過ごせちゃいます。
 
勉強がついていけず、つらいながらもエンタメと妄想に浸れた時間でした。
しかしそんな日々はあっという間に過ぎていきました。

高校卒業・灰色の現実の日々

問答無用で家業の手伝い。イヤイヤ仕事ばかり――燃え尽きた

 
高校卒業すると有無を言わさず家業の手伝いです。当然下働きからです。
 
タテ社会なので仕事を覚えないと、いつまでも下っ端のまんまでキツいです。
 
「仕事は盗んで覚えるもの」
 
当時はこれが常識なので、教えてはもらえません。社長の息子の特権をいかして、定休日に仕事場に入って技術練習をしました。
 
当時、上に職人さんが3,4人いましたが、僕が技術を一つ一つ覚えるたびに一人、二人と辞めていき――
 
そして誰もいなくなった!
 
そこからが地獄でした。
全部自分一人で仕事をこなさなければならなくなりました。あきらかに働きすぎでした。
 
ま、いっかけん
「給料半分でいいから、仕事も半分にしてくれ!」
 
 
スーパーの仕事は年中無休。ローテーションもないので全部家族で休みなしです。
ブラック企業は訴えられますが、ブラック家業は訴えようがありません。合法ブラックです。
 
 
よく「社畜」と言いますが家業なので「家畜」でした。
1日が終わるとヘトヘト。遊ぶ余裕もありません。
 
腰痛になったり、原因不明の高熱が出て三日三晩うなされるようになりました。ちょっと外出しただけで、
すぐに熱が出る。
 
 
「もうダメだ。身体が悲鳴を上げてる。やめさせてくれ」
と父に言っても、
 
「何を言ってる。お前は横着者じゃ。わしが若い頃はもっと働いとった!」
 
今でも父の「横着者」ということ言葉が耳の奥に残っています。あの険しい顔と共に。
 
考えてみると、収入としてみれば一番よかった時期かも知れません。遊ばないので金は貯まる一方。でも心はちっとも満たされない。どころか心に穴が開いて、なにかが洩れている感じでした。
仕事以外は常に横になっている日々。
プチひきこもりでしたね。
20代はこうして過ぎていきました。

30代 1冊の本との出会いで人生が変わった

扁桃腺を切除する手術をして、発熱もじょじょに納まってきました。
体調は回復したけれど、心は虚しさを抱えたままでした。
 
そんな頃たまたま手にした本が「聖の青春」でした。
 
松山ケンイチさん主演の映画の原作です。
羽生善治永世名人のライバルとされた棋士村山聖さんの生涯を描いたルポルタージュです。
 
村山さんは持病と闘いながら将棋を指し、29歳の若さで亡くなりました。
志半ばでなくなった村山さんに比べて
 
「自分はまだ生きているじゃないか」
「生きてればにやれることやりたいことができるじゃないか」
 
ま、いっかけん
「やれる範囲でいい、なんでもいいからチャレンジしていこう」
 
気力を取り戻すきっかけをもらいました。
 

結婚もしてないのに 家づくり そして婚活の日々

 
実家の隣りの土地があいて、家を建てないかというお話が舞い込んできました。
 
「結婚もしてないのに家?」
 
と思いましたが、家造りってただプランを考えるだけでもすごくおもしろいんですよ。
気がついたら、夢中になってあれこれ理想を膨らませていました。
 
計画1年、建築に1年かけて家は完成しました。
でも、一軒屋に一人、ポツーンといると、
ま、いっかけん
「サミシイ――」
 
元々結婚願望はなかったんですが、自分も家庭が欲しくなっちゃいました。
お見合いパーティーやサークル活動やらSNSやら手当たり次第に挑戦。
ひきこもりとは180°転換です。でも、ちゃんと仕事はしてましたよ。
 
気がつくと青春らしい楽しみを全然してこなかったので、この時の数年間が遅れてきた青春だったのかもしれません。
 
アタックしてもほぼ99.9%ふられましたが、
最後の最後にいまの妻と出会うことができました。そして二人の子供も産まれました。
 
終わりよければ全てよし。でも、人生はまだまだこれからですが……

やっと家庭ができたら今度は家業がピンチ!

 
家庭ができて一安心と思ったら、だんだんと家業にも時代の波が押し寄せてきて、両親が築いたビジネスモデルが崩れてきました。
 
卸売り、スーパーのテナントが中心だったのを、
「自社のブランドを立ち上げなげればならない」
しかし、既に父は一財産を築き上げたので、保守的。
 
ま、いっかけん
「自分一人で行動に出なければならない」
 
地元の朝市に出店したり、精力的に動き回りました。
 
それまでは、言われたこと、注文をこなしていただけの【やらされ仕事】でした。
自分から主体性をもってビジネスを立ち上げたのは初めてでした。
 
いろいろ失敗もありました。
だが、着実に成果も自身の成長もありました。
 
はじめて商売の中で「自分なりに頑張って成果を上げた」という手応えを感じました。
 
最終的に直売店「中村さんちのうまいもの工房」を立ち上げることができました。
 

オリジナルの肉珍味で独立!

直売店を営むうちに、お肉の端っこを使った珍味を次々と開発していきました。
 
お客さんに喜んでいただき、
「いつかこの珍味を使った飲食店を作りたい」
と夢見ていました。
 
2016年夏 
 
念願の飲食店「お肉バー ま、いっか」をオープンさせることができました
 
10年来の夢がかないました!
 
とは、いえ自分が作った新しい珍味がメイン。
なかなか受け入れてもらえるのは難しいところがあります。
喜んでもらえるお客さんには
「やみつきになるな――」
と言ってもらえるんですけど……半面渋い顔をする方もおられます。
道は険しいですけど、あせらずたゆまず続けていきます。
 

人生は好きじゃないことをするには短すぎる

 
人生100年時代。もう50歳です。
 
残りの50年は、自分の好きなことをして、好きなものを発信して生きていけたらいいなあと思っています。
ブログもその一つです。
 
人生はけして順風満帆ばかりではありません。時には思いがけない大嵐もあります。
雨の日も、晴れの日も、同世代といっしょに寄り添っていけるブログであったらいいなあと思っています。