「殺しが静かにやってくる」がなぜか既視感があるその理由

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セルジオ・レオーネと並び称されるもう一人のセルジオ。セルジオ・コルブッチ監督
ジャンゴ「続・荒野の用心棒」は大雨の降った後の泥濘んだ土地を棺桶を引きづりながらジャンゴが現れる。この舞台設定だけで、粗製濫造された大量のマカロニウェスタンとは一線を画す。
 コルブッチは舞台設定が実にうまい。そして主人公の設定も――
 しかしながら、舞台設定やキャラクターのケレンは二度と同じ手が使えないのが難。
 あまりにもひどい残酷描写で各国で上映禁止の処分に――
 というほどの残酷さは正直、感じなかった。普通ものすごい酷いシーンでも暗にぼかすとか、すんでのところで助かるとか。逃げ道が用意されているものだが、この作品に限ってはない。
 一度も見てないのに、なぜかもう何度も繰り返し見たような錯覚に陥った。
 それはこの映画のオマージュというかベーシックというか「必殺シリーズ」や「斬りぬける」などで、何度も見てきた。
ここからちょっとネタバレかもしれません。
 主人公サイレンスが手を焼かれるのは「新必殺仕置人」で最終回で念仏の鉄が手を焼かれる場面。
 主人公・ヒロインが折り重なるようにして、死んでいくのは「必殺仕業人」の最終回。
 仕事人たちがそれぞれ死んでいくシーンは、社会の無情を感じたものです。
 毎回弱者がなんの救いもなく殺される場面だった。それまでの時代劇だったら、ヒーローは弱者を救済するのが役目なので、助け出すのが当たり前なのだが。必殺の弱者は殺しをたのむ金だけ残して殺されてしまう。
 仕事人の殺しの場面がなければ、全く救われない筋書きだ。これをよく毎週テレビで放送してたな。時代劇という架空の世界だから許されたのだろう。
 「殺しが静かにやってくる」は必殺シリーズの精神的なベースになる部分に多大なる影響を与えている。と、個人的には思う。
 これは「必殺仕掛人」の原作・池波正太郎「仕掛人藤枝梅安」にはないテイストだ。梅安はもっと都会的なクールな味わいなのだ。
フランスのフィルムノアールの影響があるのだと思う。
 梅安と必殺シリーズのありかたの違いはどこから来るのだろうと長年思っていた疑問がとけた。
 マカロニウェスタンから、音楽だけでなく映像もドラマもすごい影響を受けていると知った。
ちなみに「メインテーマ」のメロディも「斬り抜ける」の主題歌「この愛に生きて」にそっくりだった。
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主に必殺がハードだった時の、最終回を手がけていたのは村尾昭。
「殺しが静かにやってくる」のテイストをしっかり必殺に移植してくれました。
 こうして必殺の最終回と「殺しが――」を見比べてみると、いかに藤田・中村主水の存在が大きいか分かる。
 主水がいるだけで、どんなに酷いラストでもどこかほっとできる救いになって、見られるし、次シリーズにも繋げれる。
 その証拠に東山渡辺小五郎だと一年に一度
でしょ。東だと存在が非日常過ぎるのです。 またまた「殺し――」を語るつもりが必殺を語ってしまった。すみません。




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