幸せをつかむ7つの法則3・感謝の気持ちをもつ

イヤな出来事、イヤな人にも感謝する

 
 自分にプラスのものを与えてくれるには誰でも感謝できる。でも、自分がイヤな人、イヤな出来事にも感謝できると幸せの階段を一歩上がれる。
 いいこともも悪いことも神様が与えてくれた縁だと思う。悪いこともイヤな人も教訓で何かを教えてくれているのだと思う。そうすると心のおもりが少し軽くなる。
 私にも苦手な人がいます。小心で気に病みなタイプなので、苦手な人は多い方です。基本、苦手な人からは逃げちゃうタイプですね。苦手な人を好きになるのはとっても難しいですが、その人との縁やその人と出会った意味に気持ちをフォーカスすれば少し気が休まります。
 丹波さんの話でなくて恐縮ですが、美輪明宏さんの著「地獄を極楽にする方法」では、この世は魔界人と天界人が戦う闘争の場だと説かれています。
 この世界は、善人ばかりではないです。悪意をもって、本心を隠して善人の弱みにつけこむ輩も大勢います。
 悪いことをされて、それでも立ち上がれるエネルギーは、個人差があります。立ち上がれる精神的・肉体的・金銭的余力が残っている場合はいい。けど、得てして弱り目にたたり目。弱いところをさらに突かれる。情け容赦ない世界です。
 今を地獄だと思う人は、地獄を早く脱出して余裕をもちましょう。抜け出した後始めて、ああこれも人生の修行だったと思えるかもしれません。少なくとも私はそうです。
 

ささやかなことにも感謝する感受性を

 
 生きることを根源的に見つめると、明石家さんまさんの
「生きてるだけで丸もうけ」
 で、それこそ「生きてるだけでありがたいし、うれしいですよね」
 私も一時期、社会的になんの生きがいも見いだせなかった時がありました。両親にさえ、モノ扱いを受け(ていると自分で思い込んでいた)、社会的なつながりを感じられませんでした。
 自分でもそんな状況がつらくて抜け出したかったのですが、当時は行動力がなくて、外にはエネルギーを発散できませんでした。変えられのは内面だけでした。
 そこで、「生き物」として生きようと考えました。社会的に生きるのは諦めて、ただの一個の生命体として生きよう。すると、人間の生きる苦痛の大半は社会的な人間関係の部分から起こることが分かります。寝る。起きる。食べる。身体を動かす。行動をただの生命活動ととらえると、実は全て快楽・快感になります。
 別に難しい瞑想や修行なんか必要ありません。生きる根本に立ち返ると、全てが喜びなのです。寝るのも喜び。食べるのも喜び。
 得に人間は野生動物と違って、食べるものも寝床もたいがい用意されているし、しかもい風呂も入れる。となると、まんが日本昔話のエンディングの歌。
「いいな。いいな。人間っていいな。おいしいごはんに、ぽかぽかお風呂」
 のように、日常の行っていることの全てがありがたいと思えるようになれます。
 ま、これまでしないと、幸せを実感できなくなるのは相当病んでいる状態かもしれませんが。社会生活になんの喜びも見いだせなくなった人にはおすすめです。
 

 先祖に感謝

 この章の最後、当然ながら霊界の宣伝マン丹波さんのことだから、先祖すなわち霊への感謝は避けて通れません。
 丹波さんは朝夕に守護霊・背後霊・指導霊の挨拶を欠かさなかったそうです。
 先祖に感謝をするのに、墓参りや先祖供養が大事ではなく。
 先祖に与えられたモノをプラスにし、先祖がマイナスにしたものをプラスにする。
 これこそが本当に先祖に感謝することだそうです。
 これならば、簡単にできそうです。
 霊界とつながるというのは、歴史とつながり、社会とつながることだと思います。自分たちを包む大いなるもの存在を信じることで、より高い視点で世界を眺めることができる。
だから丹波さんの思想は、鷹揚で寛大。ちょっと常人ばなれしております。
 私のような凡人は著作を何度も読み直して、毎回反省するしかありません。




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