新・幸せをつかむ7つの法則・4見返りを期待しない

何か無償で施しても、見返りを期待しないのはなかなか聖人君子でもなければ難しい。
 うちの長男も小学校から、学習塾、英語塾、ソロバン塾と、ドラム、長男にかけた教育費は半端な額じゃありません。
 で、いざ成果が出る高校受験になると、その成果は――出した金額とはほど遠いものでした。その結果に対しての妻の怒りは、天地が割れるほどでした。
 子供にかけた費用を返せといっても返りませんが、やはり相当お金をかけた分、努力してほしかった。結果を期待するのも、見返りを期待するのと同じことなのかな。
 けど、塾に行くのが当たり前になっているので、子供は感謝するどころか、勝手な期待を押しつけられてプレッシャーだけが貯まっているようです。
 結果を求める無償の行為は無償じゃないですね。
 よく
「借金を申し込まれたら、かえってこないつもりで貸しなさい」
 と言われます。
 どんなに相手が親しい人間だとしても、見返りを期待してもアテにはなりません。
 私の父は人から頼まれたら、断れずお金を貸してしまう質でしたが、その金が返ってきたケースは稀です。
 借用書を書いておく貸しが、こういう結果なのですから、証文もない貢献なんて、見返りを求める方が間違ってます。
 それよりも、気をつけないといけないのは、助けた人にお人好しをつけ込まれてさらに、大きく貢献を求められることです。
 図々しい人間に限度はないのです。余裕があるからと行って、救いの手を差し伸べて足下をすくわれても、相手はなんとも思っていません。
 では、ずるい相手にどう対処すればいいのでしょうか? 他人を助ける場合はかならず自分が被害をうけないように、巻き込まれないように心がけなかければなりません。
 昔、私の自宅の前は田圃ばかりで舗装された道はなく畦道だらけでした。車一台がやっと通れるほどの道幅で、よく自家用車が脱輪していました。脱輪した車は、運転手のみで動かすのは不可能です。近所の住人がよくかり出されました。
 この場合、絶対に気をつけなければならないのは、必ず自分の安全の確保と、畦にはまったタイヤが泥をはねたにかからないようなポジションにいることです。
 多くの運転手は、道路に戻ると礼1つで去って行きます。見返りはないのです。そこで怪我をしたり、服や靴が泥についてはたまったものじゃありません。
 世知辛い世の中になって、献身が仇になって、逆に命や健康が危ぶまれる事例が後をたちません。
 貢献した行為に足下をすくわれないように、常に後先を考えないといけません。
 丹波さんの理論と違い随分辛口な見返りを期待しない論になってしまいました。すみません。
 




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