
宮崎駿監督復帰作の原作で話題になっている歴史的名著。
本屋さんで平積みになってました。評判のようです。
これが本当に昭和12年の小説なのか、信じられませんでした。
というのが主人公コペル君に身の回りに起きた出来事が、今中学校三年生の息子にも起きているからです。80年近く離れていてもくっきりと今日性があって時代を感じさせません。
教室の空気をある特定の生徒が支配して、空気を読みなら、息を詰まらせて、戦々恐々とする。
同調圧力に怯える風潮は今だけのものじゃないんだ。日本ならいつの時代でもそうだったんだなあと感じました。
コペル君の学校生活に置き換えられているけど、これは一学校や生徒に起きた事件ではない。日本中が、いや、世界中が戦争一色になっていく時代を描いている。
真っ正面からノーと言うのは勇気のいったことだろう。おそらく大概の人は、本音は平和がいいのに――と思いながら、社会の空気に呑まれていったんだろう。
学校の先輩たちと向き合った時、コペル君の立場だったら、おそらく
ほとんどの人がコペル君と同じ行動をとっただろう。
その後の行動がコペル君が他の人と違うところ。自分の弱さと向き合って、弱さを受け入れ、反省し克服しようと行動した。
人間は自分のエゴのためなら、自分自身にさえ嘘をつく。はたして、そんな虚飾がない人間が現代に何人いるだろう。
コペル君や友達やおじさんを見て、なにかなつかしい気分になったのは、彼らが昭和12年の人物というだけじゃなくて、人間が本来持っていた純粋な心を保っていたからだと思う。
さて、この「君たちはどう生きるか」は岩波少国民文庫として刊行された少年向けのシリーズの一冊だった。
偶然にも以前紹介した
里見弴著「文章の話」

もその仲間だったのです。
なるほど、文章の書き方について書かれた本なのに、その内容の九割は人間とは何か、人生とは何か。生きる根本姿勢を問うものでした。
「たいものをたいする」
やりたいことをやりなさい。イプセンの言葉を引用して、どんな生涯があっても、本当に心から思うことを心から行う。そんな人間でなければ、いい文章は書けない。あとどんなに偉い肩書きや、財産があっても関係ない。何をどう書くかではなくて、誰が書くかだ。文を磨く前に、先ず人間を磨け――というワケです。
これは「君たちはどう生きるか」のコペル君たちの在り方に通じるものがあります。
「岩波少国民文庫」(私自体が全シリーズを読んだわけではありませんが)は全シリーズを通じて、人間の在り方、生き方を当時の少年達にド直球で問いかけていたのです。
しかし、軍事化一色に流れつつ状勢の中で、こんな本を出すのは本当に勇気がいることだったと思います。まさに命がけ渾身のシリーズだったのです。
内容もさることながら、「君たちはどう生きるか」という本の存在自体が、まわりに流されず軸を持って生きていく大切さを教えてくれます。 里見弴著「文章の話」
「君たちはどう生きるか」の副読本としていかがでしょう。
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