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朝ドラ「らんまん」牧野富太郎は人生100年時代のお手本

2023年春スタートのNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルは牧野富太郎氏。

牧野氏の生き様は人生100時代のお手本です

現在、牧野氏に関する本がいっぱい出版されていますが、牧野氏の著書はネットの青空文庫で無料で読むことができます。

青空文庫

しかし、わざわざ青空文庫を読む人も少ないでしょう。

牧野氏の自叙伝の中から、人生観、仕事観、健康法などをピックアップして取り上げます。

正当に評価されるようになったのは大学職員を退職してから

いまでこそ、「植物学の父」として高い評価を受ける牧野氏ですが、高い評価を受けるようになったのは晩年です。

大学でもずっと講師どまりで、理学博士となったのは65歳。生涯のほとんどが不遇でした。

というのも牧野氏は地元高知の小学校を中途で退学して以来、正当に学校で学ぶことなく民間人として植物研究に没頭していたからです。

正規の大学のルートを辿ることなく、自費出版で植物図鑑などを遠慮なく発表していましたた。

学長や教授から嫉妬をかい、東京帝国大学の講師と迎えられても、植物研究を妨害されたり、植物学の知識はその道の権威をはるかに凌ぐものであっても、いつまでも平職員のままで、しかも給料も据え置きだったといいます

そんな不遇な時代を支えたのは、愛妻の寿衛子(すえこ)夫人でした。

安月給にあえぐ牧野氏の研究を支えるため、一時は待合(当時のレンタルルームのようなもの)を経営していました。

しかし、無理がたたったのか、夫人は僅か55才で原因不明の病で亡くなります。

牧野氏が評価されるようになったのは、夫人が亡くなったずっと後のことでした。

牧野氏は夫人が亡くなった後は、後妻を迎えることなく植物研究に没頭したようです。

朝ドラらしい夫婦愛が中心に描かれていくのではないでしょうか?

自叙伝では「生涯の恋人は植物」だと語っています。

94才という長寿を全うした健康法とは?

牧野氏は1862年(文久2年)に生まれ、1957年(昭和32年)に亡くなります。

94才という当時としては驚くほどの長寿を全うします。しかし、生まれたときは病弱でけして長生きできないと言われていたそうです。

牧野氏が誕生してまもなく両親は病死しており、祖母に育てられました。牧野氏も生来病弱で、祖母から長生きできないのではないかと心配されていたようです。

牧野氏の実家は造り酒屋。

造り酒屋ができるのは米が扱える富農だけ。ということで、裕福な家で何不自由なく育ちます。

酒屋は番頭の竹蔵という人に任せきり。牧野氏は竹蔵さんから何度もお灸を据えられて、そのために健康になったのではないかといわれています。

実家が酒屋だったのに、牧野氏自体は酒も煙草もやらずに植物の研究一筋でした。

植物の観察のために、実家の裏山にしょっちゅう登っていたのが健康長寿につながったようです。

健康も植物のおかげだったんですね。

食事は基本的に小食で、魚類は食べず、鶏肉よりも牛肉が好きでした。

コーヒーと紅茶が好きで、抹茶は嫌いだったようです。

食生活はすっかり西洋式だったみたいですね。

ちなみに特定の宗教はなく無神論者でした。ただ植物にみる生命の神秘さには心を打たれたようで「唯一の信仰は植物」と語っています。

最晩年になっても夜中の2時まで書斎で研究に没頭しても、翌朝には起きていました。

いくつになっても探究心を持って、若さを失わなかったのです。

研究費に財産を注ぎ込み実家は破産、あげくは借金に……

自叙伝には、牧野氏の仕事に対する信条も書かれています。

その中には……

植物に関する内容が少しでも書かれていたらどんな本でも全て目を通す。

研究のためなら関連書はを全て購入して、洋書であっても金の糸目をつけずに購入しました。

当時は今のように公立図書館も充実していません。海外からの輸入するにせよ高額になります。インターネットもないから情報は本に頼るしかありません。

しかも、自費出版で植物図鑑を出すために、実家の財産を注ぎ込み、そのせいで造り酒屋は破産。

高知で図鑑を作るため、植物図鑑の植物図は全て自分で描いていました。少しでも費用を安くするためです。しかし、その努力は気休めに過ぎませんでした。

破産後も生まれながらの坊ちゃん育ちで、金の苦労をしてこなかった牧野氏が簡単に生活を改められるはずもなく、たちまち大きな借金を抱えこんでしまいます。

のちに大学のはからいで借金は清算できましたが、お金にはのちのち苦労したようです。

自分の私利私欲ではなく全て研究のため費用でした。今ならクラウドファンディングなどで資金を調達できそうですが、研究も金持ちの道楽としか見られなかった時代でした。

終生植物研究に尽くして人生を全うした

幼い頃に両親と死別し、孤独を感じてもいい境遇ですが、生まれついて植物が好きだったため寂しくなかったようですね。

自叙伝にもさかんに植物に対する愛が語られています。

自らを「植物と心中する男」「植物の愛人」「植物の精」と称し、植物研究にいそしみながら、植物を通じて「出世する」「名誉を得る」などの野心はこれっぽちもありませんでした。

これが人生の大半を苦労する原因になったのですが……

植物に見返りのない愛を注いだからこそ、現代でも名が残る人になったのでしょう。

 

 

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