2018年春からの連続テレビ小説「半分、青い」
ドラマに登場したなつかしい昭和のことば辞典を作ってみました。今回は第1週目。
家族で楽しんで毎日見ています。
主人公鈴愛が1971年生まれとあって、1968年生まれの私と同世代で、登場する言葉が懐かしくて嬉しくなります。
「あしたのジョー」
ちばてつや作画 高森朝雄(梶原一騎)作の不滅のボクシング漫画。
ドラマでは「少年コミック」となっていましたが、実際は「少年マガジン」でした。
鈴愛の父・宇太郎が昼寝をした時に寝言で言った「立つんだジョー」は主人公矢吹丈をボクシングに導いた丹下段平の名台詞です。
宇太郎がつぶやいた「力石が死んだのか」
力石徹は主人公丈の宿命のライバル、過酷な減量がたたって丈との試合の後命を落としてしまいます。実際にお葬式まで行われたのは有名な話。
鈴愛が三年生になった時、真っ白に燃え尽きるジョーの最終回の最後のページをクレヨンで書きますが、同級生のブッチャーは知りません。
「おまえババアなの?」
とからかいますが、実はこの当時(79年~82頃)はあしたのジョーは再編集されて映画化され、「あしたのジョー2」がテレビ放映されているのですが、ブッチャーは金持ちの息子だから見させてもらえなかったのかなあ。
自分が生まれてない年だと、分からないから気にならないんですけど、時代を知っていると細かい矛盾点が気にになってしまいます。
大阪万博
鈴愛が生まれる一年前の1970年開催された世界万博。岡本太郎製作の太陽の塔はあまりにも有名。2018年万博当時に展示された塔の内部が再現されて話題を呼んでいます。
フミフミ
1969年大橋巨泉さんの万年筆のCM。パイロット万年筆「エリートS」
「みじかびの、きゃぶりきとればすぎちょびれ、すぎかきすらのはっぱふみふみ」
イエイエ
1967年のレナウンのニット商品のCMで使われました。小林亜星さん作詞・作曲です。
「ye ye」「EYE EYE」とも表記されます。
「ye ye」「EYE EYE」とも表記されます。
巨人軍背番号30
つくし食堂の野球中継で巨人の30番を背負っていた投手は山内新一選手でした。
1970年には日本一にも貢献するような活躍を見せましたが、怪我のため活躍できず1973年に南海ホークスに移籍。そこで野村克也監督の始動で見事再生。
1985年の21年ぶりの阪神タイガース優勝メンバーです。
公衆電話 いまやほとんど見かけなくなった公衆電話。10円を入れてガチャガチャ回してましたね。10円が切れてしまうとアウト。他の金貨もお札もダメでした。
アブドラ・ザ・ブッチャー
ドラマのブッチャーはスネ夫とジャイアンを足したようなキャラですが、悪キャラでもどこか憎めないところが本物のブッチャーと似ています。
世界をまたにかけた悪役プロレスラー。反則攻撃をいとわない悪キャラながら、憎めない容姿でCMにも起用された。クラスの中でちょっと肥っていると必ずブッチャーというあだ名にされた。
当時ブッチャーと呼ばれた人にはちょっとトラウマ化も知れません。
世界をまたにかけた悪役プロレスラー。反則攻撃をいとわない悪キャラながら、憎めない容姿でCMにも起用された。クラスの中でちょっと肥っていると必ずブッチャーというあだ名にされた。
当時ブッチャーと呼ばれた人にはちょっとトラウマ化も知れません。
パンの耳の揚げたやつ
昔の食パンの耳って本当に固くて食べづらかったんです。今はどの食パンの耳も全部柔らかいですけど。
耳をカットしておやつにしてましたね。
マグマ大使
手塚治虫の原作でビープロが製作した特撮番組。地球侵略をねらう宇宙の帝王ゴアの魔の手から地球を救うべく地球創造神アースの手によって作られたロケット人間マグマ大使の活躍。マモル君がピンチになると笛を3回吹くと必ずかけつける。放送されたのは1966年。
ベストテンごっこ
「ザ・ベストテン」TBS系列で木曜9時から生放送された歌番組。黒柳徹子さんと久米宏さんの超早口なしゃべりで1時間足らずで10曲を紹介するかなりスピーディーな展開の番組。
ラジオや有線のリクエスト・レコード売上げを集計して正確な歌のランキングその場で発表する。忙しい歌手さんたちは飛行場や新幹線などの移動中でも生で中継した。
ベストテンごっこはその真似をする遊び。
松田聖子「青い珊瑚礁」は1980年の8月から登場したしました。鈴愛たちは登校しているしすでに二学期のようです。
三途の川 この世とあの世分ける境目にあるとされる川80年代はどんどん新しいものが作られる半面。昔ながらの言葉や風習がまだ残っていた時代でした。鈴愛も子供ながらに耳に入っていたのでしょう。
金づる
お金を出してくれる人。情は感じていないのに金を出してくれるがために割り切ってつき合う関係。
お代官様
多くのテレビ時代劇では、悪代官は常に悪商人と手を組んで、弱い者を虐げていた。たんまりたまって「越後屋、おまえもワルよのう」「いやいやお代官様ほどでは……」というやりとりが定型。鈴愛もテレビの時代劇を見て覚えていたのかも。その頃はまだビデオデッキが普及してなかったので、テレビは全て生で見るしかなかった。で、お目当ての番組がすむと、子供でも時代劇・刑事ドラマ・メロドラマなんでも見ていました。
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