
十数年のパニック障害との格闘の末に掴んだ長嶋一茂さんの人生哲学は大いに共感しました。
◎目次
パニック障害で球界引退。キャスター・タレントの道へ

治ると思った時、本当のどん底がやってきた。そして、大逆転

苦難の末に掴んだ引き算の生き方とは

孤独と飢えが人を強くする
長嶋一茂さんはパニック障害に克服するには飢えと孤独に身を置くことだと言います。
- 調子が悪くなったら一日一食にする。
- 毎日一時間でも一人の時間を作る
自然の自分に立ち返ることで、人間が本来持っている生きる力が戻ってくると言うのです。
もっともっと症候群が人の心を乱す
そもそも現代人はマスコミが提供する「もっといいもの、もっとハッピーな生活」という情報に踊らされる 「もっともっと」症候群にとらわれている。
自分にとって必要のないものまで、過剰に欲してしまい、それが手に入らないことで人を妬んだり、自己嫌悪に陥ってしまう。
一茂さんはパニック障害を克服するため脳内科学や自己啓発の本もたくさん読んだそうです。ですが、何かをプラスする考え方を推奨する本は全部意味がなかったそうです。
「実は、パニック障害をはじめ、不安を抱えている人の多くは、足りないのではなく、過剰な何かがあるのだ。だから、その過剰な何かを取れば、不安はなくなる。食べ物でも、持ち物でも、情報でも、欲望でも。昔の修行僧ほどはできないとしても、自分に本当に必要なもの以外は、どんどんそぎ落として、できるだけシンプルにしていく。
自分を偽善者だと思えば、人からどう思われても気にならなくなる
また有名な親鸞上人の「歎異抄」の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の一説を一茂さんは 「人間は悪で当たり前なのだ」と解釈しました。
「人からどう見られるかはどうでもいい 人間は嘘をついて当たり前なのだ。偽善者でいいのだ。そう潔く諦められれば、人生はかなり楽になる。人からどう見られようが、どんな悪口を言われようが、「もともと、自分は悪人だから、偽善者なのだからいいのだ」と割りきれば、人の目がそれほど気にならなくなる。しかも、不思議なことに、物事に対して積極的になる。私の場合はまず、報道番組のコメントにも、ほとんど葛藤を感じなくなった。「自分は偽善者の極悪人だ、どう思われても、誤解されてもいいのだ」と開き直ったから、思ったことをどんどん発言できるようになった。 パニック障害がいい例だが、人が他人の悩みや苦しみを、あるいは真意や真心を一〇〇パーセント理解するのは、たとえそれがどんなに愛し合っている相手であれ、絶対に不可能なのである。つまり、人は、どんなに弁を尽くしたとしても、勘違いされたまま死んでいくのである。
自分の戻る場所が見つけられるかで人生が変わる
今でも一茂さんは一生揺るがない信念を確固たる信念を持ちえてはいないそうです。時として動揺する時もあるけれど自分の立ち返る場所を見つけることだ大事だと言います。
「それは、パニック障害を経たお蔭で、私がやっと、人の目なんかどうでもいいと思える「自分の戻る場所」を見つけられたということでもある。 どんな野球の名選手でも、やっぱり不調の時があるように、人間誰しも、目に見えないスランプがある。だが、そういう時に、「自分の戻る場所」、あるいは、「初心に帰れる場所」を持っているかどうかは、非常に大きいのである。なぜなら、理不尽な、自分の思う通りにならない現実から受けるダメージの度合いが、まったく違ってくるからだ。さらには、そのダメージから立ち上がるスピードも、まったく違ってくる。
一茂さんにとってその居場所とはハワイのようで、ハワイに行く予定を先に立ててから、仕事のスケジュールを立てるそうです。うらやましい!
また、よく提唱されるポジティブシンキングにも異をとなえます。
「ポジティブシンキング」なんて言い出したら、自分が苦しくなってしまって、しょうがない。むしろ、ネガティブなことをたくさん考えたほうがいい。 なぜなら、ポジティブなものを突き詰めすぎると、その反動で、ネガティブなことのほうがより浮き上がってくるからである。たとえば、「自分は絶対強い、パニック障害なんかに、うつなんかになるわけがない」と思うと、なってしまった時に、ショックが大きい。つまり、ポジティブシンキングが自己否定に繋がるのである。 それよりも、「俺ってダメだなあ、弱いよなあ、めそめそしてるよなあ」と開き直って自分のネガティブさを真正面から認めるほうが、何か上手くいかなかったり、失敗してしまった時でもショックが小さくて済む。だから私は、あえて「ネガティブシンキングのススメ」もここに提唱したいのである。
自分を救う魔法の言葉「まあいいや、だいたいで」

時には挫けてもいいよ
長嶋一茂さんが経験から掴んだパニック障害やうつ病克服法は巷で流布されている常識や定説とは真逆なことが多いです。
だから生真面目で、世間の目や常識を気にする人が精神疾患になってしまうのはうなづけるような気がします。
本当にパニックやうつの酷い時には、何もかもほっぽって、とことん挫けてしまうことも、実は、とてもいいことだと思う。 たとえば、私の場合も、何かのトラブルに見舞われたり、人間関係や仕事が上手くいかなかった時は、 「なんで俺だけこんな目に遭うんだろう」 とか、 「なんて俺はだめなんだろう、こんなに」 と、もうとことん自分を落としてきた。本当に挫けてしまって、家から一歩も出たくない、誰とも会いたくないということも、数え切れないほどあった。 そしてそんな時は、文字通り何もせず、そんな自分をそのままほっぽっておくのである。そうすると、不思議なことに、ある時が来れば、ふっと楽になる。
厳しい現実を逃げずにしのいでいくためのおまじない「まあ、いいやだいたいで」
とは言え、社会から逃げたり引きこもったり、現実からは逃れるのは難しいです。 そこで一茂さんは1つの提案をします。
日本全体が、正直な善人には、本当に生きにくい、住みにくい場所になっているのではないか。 だが、いくら厳しいとはいえ、私も含めた多くの人間は、仕事上からも生活上からも、日本から逃げることはできない。そこで、「いかにしのぐか」ということを、私は提唱したい。 「しのぐ」ということは、別に「逃げる」ことではない。 誤解を恐れないで言えば、しのぐということは、したたかに、ずる賢く生きることだ
そして、実際に「しのぐ」にはどうすればいいのか? 一茂さんは「まあいいや、だいたいで」という言葉を使えと言います。
私の場合も、何かルーティンから外れるようなことがあった時には、常に、「今日はとりあえず夜中まで番組があって遅くまで起きちゃっているけれども、まあいいや、明日はなるべく早く帰ってきて早く寝よう」など、とにかく「まあいいや、だいたいで」と自分自身に言い続けている。
と言っても、あからさまに「まあいいや、だいたいで」と言うと、怠け者・ふざけたヤツだと思われます。だから、あくまで心の中でつぶやいて、表向きは無難に、したたかにずる賢くいきることが大事だと言います。

まとめ
この一冊で長嶋一茂さんの印象がガラリと変わってしまいました。困難を乗り越えると、人間は一回りも二回りも成長するようですね。
長嶋一茂さん著「乗るのが怖い 私のパニック障害克服法」では、具体的な、生活習慣、運動、食事法が示されています。
それは、パニック障害やうつ病のだけでなく、健康な生活を送るために有用で、しかも簡単に実践できるものばかりです。是非一読をおすすめします。