
2019年に発刊されたマシュー・ポリー著「ブルース・リー伝」はなんと約600頁の大著です。値段も5,400円税別という価格
買うのも読むのも大変ですが、それに見合う厚みのある情報でした
◎目次
ブルース・リーざっくり伝
ブルース・リーは1970年代に世界に一躍カンフー映画ブームを巻き起こした伝
戦後、アジア系ではじめて世界的な映画スターになりました。
「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」
1973年「燃えよドラゴン」が世界的なヒットになった時、既に
わずか32才の若さで謎の死を遂げます。
大著「ブルース・リー伝」で知った驚きの新事実!
ブルース・リーの人生について私の情報はリンダ夫人著の「ブルース・リー・ストーリー」で止まっています。
この本はあくまで、夫人から見た夫ブルース・リーが描かれています。
今回の「ブルース・リー伝」は著者マシュー・ポリーの徹底的な聞き取り調査で、ブルースを多角的にとらえています。
そして、なにしろ本人が若くして亡くなっているので、はっきりと分からなかった彼の経歴、足跡が明確にあらわされています。
ブルース・リーに限ったことではないでしょうが、死後約50年も経過していて、ごくごく親しい人からの聞き取りにも勘違い、齟齬があります。
その一つひとつを生きている証言者に複数聞き取り調査し、その裏を取り、残された書類も目を通しているのがうかがえます。
伝記とはこうして書くものなんだなと、著者の取材姿勢に頭が下がるばかりです。値段が高くなるのもしかたがない!
その中でも私が今回はじめて知った新事実を以下に紹介します。
その1ブルース・リーには白人の血が流れていた!
ブルースの曾祖父はユダヤ系オランダ人。
香港の資本家のユダヤ人だったボスマンーホートン一族の一員でした。
ブルースのアジア人離れした目鼻立ちの整った容姿。
西洋的な文
事実があまり公にならなかったのは黄色人種のヒーローたるブルースに白人の血が混ざっているのが知られると、イメージダウンにつながると考えたからかもしれません。
その2・ブルース・リーはシャロン・テート事件の身近にいた!
タランティーノが監督した映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イ
「チャイナタウン」「戦場のピアニスト」で知られる映画監督ロマン・ポランスキーとその妻シャロン・テートはマックイーンが中心のグループの一員だったのです。
日本の芸能界でも、「ムロ会」とか「春菜会」とか中心になるスターがいて、仲間が作られています。
ブルース・リーもそのグループに所属していて、スターや監督・脚本家たちのクンフーのプライベートコーチをしていました。
シャロンの出演したスパイ映画でブルースはアクション指導を担当
そして、今も悪名が残る忌々しい悪夢のような事件が発生。
いわゆる「シャロン・テート」事件が起こります。
妊娠中のシャロンがむごい殺され方をしてしまうのですが……犯行
犯行現場には犯人のモノと思われる眼鏡が落ちていました。
悪いタイミングの時にブルースは眼鏡を壊していました。
「グリー
「俺はスターになれる!」
と確信したのかちょっと贅沢な生活をしていました。が忽ち収入が
ポランスキーはもしや犯人はブルースではないか?
と疑いました。眼鏡を買い換える時期がタイミング悪すぎ!
カンフーのプライベートレッスンの後、ポランスキーは眼鏡をプレ
その3・ブルース・リーは自ら企画した映画の再オファーを断っていた!
前述の通り、ブルースは「グリーンホーネット」以降、自ら映画や
弟子のはずのスティーブ・マックイーンにも制作の協力を断られまし
しかしジェームズ・コバーンや脚本家のスターリング・シリフィア
しかし、やはりアジア系俳優が主演するのは壁が厚すぎた!
企画した「燃えよ!カンフー」は白人俳優の主演で制作されました。
手酷い挫折を味わったのです。
その後、ブルースは香港に戻り、主演映画がヒット連発。
その余勢でハリウッドから逆輸入されたのが「燃えよドラゴン」に
ブルースの成功を受けて、ついに企画実現の準備が整ったと、再び
「もう俺のギャラは上がってあんたたちには払えない」
と断ったそうな……
人生を賭けてでも実現したかったはずの企画です。
香港に渡って地位と名声を手に入れたブルースは既にかつての夢見
著者ポーリーはバーナード・ショーの名言を添えています。
「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一
ブルースの急逝によって、全ての企画は棚上げされました。
中国人が主人公の西部劇「ウォリアー」が、約50年ぶりに、愛娘
これは生前、ブルースが温めていたテレビドラマの企画の一つです
アクションもさることながら、エロスもたっぷりの作品になってい
その4・ブルース・リーの死因は?
ブルースの急逝は長い間、謎に包まれたままでした。
忍者暗殺説、ステロイド説、覚醒剤説、ありとあらゆる説が流布し
本著で著者ポーリーが過去の死後の診察結果を元にした結論は、あまりに
「熱中症」
今では耳慣れたこの症状も、ブルースが亡くなった時代にはまだ医
亡くなった当時、ブルースは何日間も眠れないまま撮影を続けて疲
その状態で、その年の香港は異常な暑さが連日続いていました。
もともとブルースは暑さや寒さの気温の変化に弱くて、よく体調を
体調管理にもう少し気を配っていたら、働きすぎに注意していたら、もっともっと活躍できたか
ハリウッド映画の歴史も、格闘技界の歴史もまた変わったものになっていたでしょう
まとめ
ブルース・リーを知った頃には小学生低学年でしたが、いまやすっ
ブルースが老荘思想を格闘技の戦略論としてだけでなく、生きる哲
彼の分も悔いの無い人生を送って生きたいです。